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第七回 思想編 「心身一如と生命燃焼」内なる力が自然と湧き起こる深層筋トレーニング

  • 執筆者の写真: kosakawataru6
    kosakawataru6
  • 3月1日
  • 読了時間: 2分

第七回は 「心身一如と生命燃焼」 についてお届けします!


心身一如とは、心と体は一体であるという思想です。

しかし、現代の健康観においては心の存在が軽視され、その結果、肉体第一とする健康観が主流となりました。


心と体は一体であるため、見た目や数値ばかりを意識して鍛えることは、物質的な豊かさを求める生き方に直結します。


つまり、心のあり方が、そのまま体にも反映されるのです。


「何のために鍛えるのか?」「何のために健康になりたいのか?」


この問いにどう答えるかによって、心の方向性が決まり、結果として身体のあり方も変わっていきます。

「心と体を切り離す考え方」は、歴史を遡ると17世紀の哲学者デカルトの思想が大きく影響しています。

デカルトは、心と体を別のものとして定義し、この考えが科学の発展を支え、現代の科学至上主義の基盤を築いたと言われています。


しかし、日本には仏教や武道、そして日々の生活様式の中に、心身一如の思想が根付いていました。

ところが、科学文明・物質文明の台頭によって、その思想が侵食され、心と体の乖離を生んでしまったのです。


そこで私は、「生命燃焼」を軸とした「心身一如呼吸法」を考案しました。


これは、生命燃焼を体現された三島由紀夫先生、執行草舟先生、野口晴哉先生などの生き様から学び、そのエッセンスを取り入れて生まれた呼吸法です。


また、月は古来より人類の憧れの象徴でもありました。

三島由紀夫先生は、「人類が月に手を届かせたことで、物質文明が確立した」と語っています。


人類は「到達できない憧れ」があるからこそ、そこへ向かって生命を燃やせる。


この憧れの象徴でもある月のフェーズ(満ち欠け)が生命燃焼の指針となり、活力を与えてくれるのです。


そして、未完の人生こそが生命を燃やす原動力となります。

「憧れ=未完のままだからこそ、人はそこに向かって生命を燃やせる」


偉大な生命燃焼を遂げた人々は、皆、憧れを抱いたまま死んでいきました。

現代では、それを「負け」と捉える人もいるかもしれません。

しかし、それを崇高な死と捉えることができなければ、物質文明から、真の霊性文明へと向かうことはできないと私は思います。


私は、その憧れを抱き続け、日本人が重んじた「生命燃焼」という思想を受け継ぎ、未来へ遺していくという挑戦をしていきたい。


▼視聴は小坂航チャンネルから▼




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