心身一如の視点から見直すトレーニング
- kosakawataru6
- 4月2日
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心身一如の視点から見直すトレーニング
心身一如とは、「心」と「体」が切り離されたものではなく、本来ひとつのものであるという東洋的な概念です。
つまり、どのように体を使い、どのように鍛えるかによって、心の在り方も自然と変化していくということを意味します。
しかし現代では、トレーニングの目的が「見た目」や「数値」、「成果」といった、外から見えるものばかりに偏っているのが実情です。
その結果、私たちの心もまた、同じように“外側だけを追い求める在り方”に染まっていってしまっています。
心と体、物質と精神。
これら二つの価値観は、歴史を通じて交互に優位となりながら、時代の思想を形づくってきました。
霊性や精神を重んじる時代があれば、逆に、現実的・肉体的な価値観が支配する時代もある。
そして今は、偏った物質主義の時代に私たちは生きているのです。
目に見える価値ばかりがもてはやされるこの時代において、私たちは知らぬ間に、身体までも「管理」や「操作」の対象として扱うようになってしまいました。
「健康とは何か?」という問いも、次第に「肉体をどう維持するか」「いかに長く、効率的に生きるか」といった方向へとシフトしてきています。
今や、トレーニング業界やSNSを見渡せば、「健康が一番大切」、「運動こそが人生を豊かにする」、「筋肉がすべてを解決する」といった発信であふれています。
それらは一見、前向きで正しいように聞こえるかもしれません。
しかし、実際には物質主義的な価値観に基づいていると、私は感じます。
私たちが生きているこの時代は、心身一如の観点から見れば、明らかにバランスを失っていると言えます。
「心がスッキリする」、「前向きになれる」、「心と体のメンテナンスが大事」、「癒しが必要」
そういった優しい言葉の中にも、現代の物質主義や消費社会の論理が、巧妙に入り込んでいるのです。
けれど、生命の本質を見つめたとき、私たちが本当に向き合うべきなのは、疲れを癒すことでも、逃げ道を探すことでもありません。
それは、生命をどう燃やして生きるかという問いです。
現代にあふれるトレーニングや健康に関する情報は、一見“生命を大切にすること”をうたっているように見えます。
しかし、私は逆にこう感じています。
それらの多くは、むしろ私たちを「生命燃焼」という本質から遠ざけているのではないかということです。
心身一如の視点から見れば、健康とは本来、生命を燃焼させるための“手段”にすぎません。
大切なのは、どんな想いでトレーニングに向き合うか。
その問いを持ち続けることが、心と体を本当にひとつにする道だと思います。
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